はじめに
下記のエントリを良いタイミングで見かけたので、常日頃からオトナを教えている私の「教える」ということについて書いてみたいと思います。
そもそも上手に教えるのが目標で良いのか
「教える」という言葉の意味するところを突き詰めてみると、これは教えている側が中心の言葉だと思います。教えられた側が「身につけたか」ということについては弱い言葉です。つい私も教えるという言葉を使ってしまいますが、本来は「育てる」という意識を強く持つべきなのでしょう。相手が身につけて成長してゆくことこそが目的であって、教わることが目的では無いはずです。
こういったことから「教える」よりも「育てる」が(教えられた側の受ける成果の意味で)上位に位置する言葉であると私の頭の中では整理されています。上位に位置していると書きましたが、育てるために上手な教え方を学ぶ必要は実はなかったりします。
というのは、下記の話にもちょっと近いです。組織やリーダーのあり方の話なので少しずれるところもありますが、「優れた人を育てること」というところで共通したものがあります。以下では「教える」よりも成果の大きな「育てる」ことにフォーカスを当てて書いてゆきます。
成長してほしい相手には、なるべく「考えてもらう」「行動してもらう」ことが必要だと感じられましたでしょうか。上記のエントリでは、リーダーが頼りない姿であることをきっかけに、周囲の人に考え、行動してもらう形を作っています。人を上手に育てたいなら、相手にいかに積極的に真剣にその事象に取り組んでもらうかは大きな命題でしょう。
質問の大切さ
「考えてもらう」ということを外から促す場合に取りやすい手段として「質問」があると思います。適切な質問を投げかけることで、人はそのことに対して意識を向け、考えてくれることが多いです(もちろん質問に答えようという意思が無い人は考えませんので、その心理状態を作ることが先に必要になりますね)。
質問には他にも大きな役割があります。それは相手の脳の中で見えている像を自分の脳へ写像する材料を集めることです。何か物事を行う場合に「相手に見えているもの」と「自身が見えているもの」にギャップのある場合が多い為です。例えば
- 熟達者にとって「当たり前のこと」が初学者にとっては「異質なこと」として感じられている
- 当然見えているはずの文章が見えていない
- 根本的な勘違いをしている
ということがよくあります。質問は「相手に見えているものを自身の中で明確化する」有効な道具です。ここをやらずに先入観で判断して物事を伝えようとしても相手には伝わりません。そもそも前提が食い違っているからです。
「相手に何が不足しているか」
を知る為に質問して、相手に響かせるための次のアクションの材料にします。良い質問の仕方もあるとは思いますが、それはまた別の機会にしたいと思います。
行動を促すために「教えない」
質問から得た情報から、適切な行動を示唆できることが多いです。例えば
- 過去に書いたメモを見直す
- インターネットを検索する
- 本を読む
- 熟達者の経験を話してもらう(経験が重要な「哲学」「概念」である場合)
などです。こういった時、他人(育てる人も含む)に聞いて答えを教えてもらうような誘導はなるべく避けるべきです。教えたがりな人は、ここで全部説明してしまいます。それは相手が自分で適切な答えに辿り着くためのチャンスを奪っています。説明が上手であっても、育て上手とは限りません。逆に、適切なタイミングで上手に説明できる人は上手に育てることができるはずです。
達成感が次の成長を支える下地
「適切な質問から導き出され示唆された行動を取り、初学者が自分で能動的に行動した結果、成長する」 という成長の一つの流れをここまでお伝えしてきました。このことは多くの場合、自身で考え行動した初学者に達成感を与えます。そして、自力で獲得したことを育てる側は褒めることができます。
こうした精神的な充足が新たな課題に対するやる気を引き出し、互いの信頼をも醸造します。 その結果、より育てやすくなっていくというプラスの循環が生まれるでしょう。
おしまいに
ここに書いたことは理想です。実際にこれを行おうとする場合、そう簡単にうまくいかないことを私自身も知っています。ただ、私はこの考え方で人を育てて、概ねうまくいっていると思っています。あくまで私の目線なのでひょっとしたらそう思っていない受講生・弟子はいるかもしれません。そうであったら私自身もまだ足りないところが多くあり、成長している途中であるということなのでしょう。
もっと良い方法があれば是非伺ってみたいと思っています。